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本サイトでは、チームの技術調査の成果を(いささかの遊びごころを盛り込みつつ)順次掲載していきます。 現在、WordPress等のブログ/CMSと連携する、新世代の分散webサイト(Java/.NETを含む)の構築に関する調査及び、次世代のプログラミング教育環境に関する調査を展開中です。
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TAG | 平常な場所での文学
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記事概要の
プレビュー
自分はおそらく、そこそこのプログラミング言語オタクである(ここでの「オタク」には役に立たないことにうちこむ様という意味を込めておく)。
前々から、プログラミング言語オタクは、現代の文弱なのではと思っている。
昔読んだ、柄谷行人氏の文芸評論『日本近代文学の起源』あたりを思い浮かべるに、 「言文一致」を作り上げていった明治時代(19世紀末)を終え、大正・昭和と時代が移ろうにつれ、文学が現実を変える力を失っていき、「文弱」という蔑称を文学字自身が語るように・・・そして、文学が文学である以上の期待を誰もしない「平常な場所での文学」(『意味という病』 所収エッセー)にという時代となる。
すばらしいプログラムが世の中を変えると信じられていたのは、Fortran/Lispが登場して以降どこまでであったろうか?Javaの力は、API・ライブラリの力といった細かな議論はさておき、現代のITシステムの多くは、営業SE、運用SE、そして、何よりシステムのユーザーとのチームプレイの結果、価値を生み出しているにすぎない。(オープンソースを含む)大多数のプログラムは、それ自体に価値はなく、使われてはじめて価値を生み出す。これが、大多数のプログラマにとっての「平常な場所」だ。そして、その平常な場所がつまらない/耐え難いと思うプログラマは、(自分を含め)夜な夜な新たなフレームワークや新プログラミンク言語をホゲほげする、と。大正・昭和の「文弱(あるいは三文文士)」の社会的地位も似たようなものだったのかもしれない。
2007年・2008年頃のプログラマのブログに多く見られたスーツとギークの対比に似た対比も、「○○対(三文)文士」の類として多数書かれていたのかもしれない。
ところで、冒頭の文芸評論家柄谷行人氏は、正確には、元文芸評論家である。年を取ることがさほどのマイナスではなかろう文芸評論の世界から、氏が身を引いたのは、 (個々人の葛藤を描いた)「文学」や文字通り小さな説を唱える小説がもはやほとんど小説し、小説はただのエンターテイメントと化したからだという。
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文弱たちがさまざまな思いを込めてのめりこんだ小説は、ただのエンターテイメントと化した。プログラミングの未来はいかがなものだろうか・・・プログラミング言語オタクとしては、少し気になるところである。
スーツとギーク, プログラミング言語オタク, 平常な場所での文学, 文弱, 柄谷行人
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